6/12朝会の話「北野小の名前の由来」6月1日は、北野小70回目の開校記念日でした。前回の朝会では、70年前の第1回の運動会について話しました。そこで今日は、学校の歴史シリーズ2回目。 今回は、どうして「北野小」という名前がついたか?話します。 今から70年前 昭和28年6月1日北野小は、住吉小学校の分校、北野分校としてできました 学校の周り、田んぼでしたが、学校の近くに神社があったそうです。今のプールのあたりに小さな祠がありました。この神社の名前が、北野神社と言いました。学校の近くに北野神社があったことから、北野小学校とついたそうです。 今 学校のプールの近くに北野神社はありません。では、どこにあるのでしょうか。 みなさんが知っている学校の近くです。「古録天神社」です。(写真を見せる) 古録天神社の中には、北野神社もあります。ほら鳥居の入り口に北野神社と名前が書かれています。(写真を見せる)古録天神社には、古録天神社の神様と北野神社の神様が一緒にまつられているのです。 では、学校の名前の由来になった「北野神社」の神様は、誰でしょうか。それは、この人です。(写真を見せる)名前は「菅原道真」といいます。今から1100年以上も前の平安時代に実際にいた人物です。6年生の歴史の教科書にも出てきます。 菅原道真という人は、とても頭がよく優秀な学者で、当時、朝廷というところで天皇のそばに仕え、とても信頼されていました。「学問の神様」とか「天神様」と今でも呼ばれています。 とても身分の高い方の名前の最後に「公」をつけるので、このあと「菅原道真公」と呼びます。 菅原道真公は、梅の花がとても好きで大切にしていました。自分の邸の庭にも梅の木を植えていて、梅の花についての和歌をたくさん詠んでいます。百人一首にも出てきます。 その一つが、「梅の花 紅の色にも にたるかな 阿呼(あこ)がほほにも つけたくぞある」という和歌。実は、この和歌を作った時の菅原道真公の年齢は、なんと5歳。子供でこんな歌を作るのですから、天才ですね。 北野小学校のマーク、校章には、梅の花が描かれています。菅原道真公が、梅(うめ)の花をこよなく愛し、大切にしていたことからきています。 「北野小」「うめ」 といえば、そう「うめのみ教室」があります。うめのみは、「梅の実」からきています。 菅原道真公が、とても大事にしていた動物がいました。ある動物です。わかりますか? (5年生女子が挙手、指名する)そう、牛です。菅原道真公は、うし年生まれなのです。 おととし(2021年)「うし年」の時に、先生は、北野小に牛を呼びました。3年生や5年生は覚えていますか?「モーモースクール」を行いました。 まとめです。どうして「北野小」という名前がついたか? 昔、学校の近くに北野神社があったからと、「学問の神様」菅原道真に関係があるということです。 ぜひ、北野小学校の児童ならば、このことはぜひ覚えておいてください。 そして、皆さんも菅原道真公のようにしっかりして勉強して、かしこい人をめざしてください。 きっと「学問の神様」である菅原道真公も、北野小の皆さんのことを見守っているかもしれません。先生は、毎年、お正月に古録天に行き、みんなが勉強できて賢くなりますようにとお参りしています。皆さんも受験や試験の前に、そこの古録天神社でお参りする人もいるかもしれません。 以上で話を終わります。 |
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