2/13 朝会の話「国枝慎吾さんの引退」国枝さんは、9歳の時に病気で下半身が動かなくなりました。そのため、そのときから車いすの生活が始まりました。11歳になった6年生のときに、お母さんのすすめで車いすテニスを始めることになります。 大好きなスポーツができなくなり、落ち込んだけれど、今では命が助かったことで 「車いす生活になったことはたいしたことじゃない。生きていてよかった。」と思ったそうです。 そして、ものすごい練習とリハビリを続け北京とロンドンのパラリンピックのシングルスで金メダルを取りました。そして一昨年の東京パラリンピックでは3回目の金メダルをとりました。 国枝さんは9歳から車いすのままで歩けなかったのですが、歩く練習を一生懸命にやり、26歳のときに自分の力だけで14歩 7m歩けたのです。これは奇跡に近いことだそうです。何事にも挑戦していく姿勢が大切なのですね。 グランドスラムと呼ばれる四大大会のうち、全豪・全仏・全米の3大会でシングルスに2 7回優勝し、残っていたウィンブルドン選手権を昨年制し、四大大会全制覇(「生涯グランドスラム」)を達成しました。その間に、ダブルスでは22回優勝しているので、シングルス、ダブルス合わせると50回優勝をしています。 国枝さんは「念願のウィンブルドンタイトルを獲得してからは、ツアーで戦うエネルギーが残りわずかであることを感じる日々でした」と現在ランキング1位ですが、引退を宣言しました。 輝かしい成績を残した国枝さんですが、すべてが順調だったわけではありません。頂点を極めてからも、ケガに悩まされたり、伸び悩んでスランプの時もあったりしました。 そんな時、自分の気持ちを奮い立たそうと、自分のラケットに「オレは最強だ!」と書いていたそうです。(写真を見せる) 「オレは最強だ」と言うことで、自分を信じることができプレッシャーにも打ち勝つことができたのでしょう。 皆さんは、これからたくさんの壁に突き当たることがあるかもしれません。苦しくて、もがき苦しいことがあるかもしれません。でも、そんなときは、国枝さんの言葉を思い出してみてください。きっと頑張れるはずです。きっとやり切れるはずです。自分で限界を決めず、最後まで頑張ってほしいと思います。 引退発表した翌日の先週8日の新聞朝刊に、国枝さんが所属している「ユニクロ」という会社が、国枝さんをねぎらう広告を出しました。その広告に書かれていた文章を最後に紹介します。 ☆☆ユニクロから国枝さんへのメッセージ全文☆☆ 11歳の国枝慎吾くんへ 9歳の時にせき髄の病気で両足に障がいが残り、 母の勧めで車いすテニスに出会ったばかりのあなたに思い描くことができるでしょうか。 自分が世界を舞台に戦い、車いす男子史上初の生涯ゴールデンスラムを達成する姿を。 大人になっても負けず嫌いのあなたは、 再発する怪我や襲いかかる重圧を乗り越え、 数えきれないほどの"世界一"を勝ち取ります。 あなたが活躍する度に、車いすテニスのファンは増え。障がい者スポーツがメジャーになっていきます。 障がいのある方もない方も垣根なく活躍できる社会へと世界は着実に向かっていきます。 車いす生活が始まった時には、大好きだった野球ができなくなって落胆したことでしょう。でも、あなたがラケットを手に取ってくれたおかげで、未来では計り知れないほどの希望が生まれます。 11歳の国枝慎吾くん、 車いすテニスを始めてくれてありがとう。 ユニクロ グローバルブランドアンバサダー 国枝慎吾選手、 長年の競技生活お疲れさまでした。 |
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