7月16日に「社会を明るくする運動 児童・生徒意見発表会」が柴原小学校体育館で行われ、本校から6年生代表児童2名が出場し、力強く自分の意見を発表しました。
「互いを理解し合う社会の実現にむけて」
北野小学校 6年 Y.Y
最近ニュースなどで「生きづらさ」という言葉をよく耳にします。「生きづらさ」とはどういう事なのでしょうか。皆さんは「生きづらさ」を感じたことはありますか。私は今まで生きづらいなと思ったことがありません。そこで、どんなことに人は生きづらさを感じるのか自分なりに考えてみました。
例えば、けがや病気で思うように動けないというような「生きづらさ」。また、自分の思いを相手に上手に伝えられずに誤解をまねいてしまうような、精神的な「生きづらさ」があると思います。他の人には分からない、本人だけの思いがきっとあるのだろうと思います。
私の母の話ですが、小学生の頃「おばさん」というあだ名で呼ばれていたことがあったそうです。母は小さい時、クラシックバレエを習っていて、前髪を伸ばし、後ろで一つにまとめた髪型だったこと、眼鏡をかけていたことなどの、見た目からつけられたあだ名だったそうです。
母はそのあだ名を嫌だとは思っていなかったそうですが、ある日、友達のお母さんが、その友達が母のことを「おばさん」と呼んでいることを知り、顔色を変えて謝りに来たそうです。その話をしながら母は、「お母さんは嫌とは思っていなかったけれど「おばさん」っていうあだ名は、確かに嫌だなって思う人もいるだろうね。」と言いました。
その話を聞いて、私は物事の受け取り方はちがうのだということに気が付きました。そして、もしかしたら人によって、嫌な気持ちになっても「嫌だ」「やめて」と言えず、学校に行くことが辛くなってしまったり、学校に行けなくなったりすることがあるかもしれないと思いました。人の心の中にある「いきづらさ」は、周りからは見えず、本人にしか分からないものです。
では、自分が「生きづらさ」を感じた時、どうすればいいのでしょう。
初めに思いつくのは、誰かに相談するということです。相談することで、解決策がみつかるもしれません。親や友達に相談するのが難しかったら「命の電話」など、電話サービスを利用するのも大事だと思います。
でも、それもきっと勇気がいることで、その一歩をなかなか踏み出せず、ずっと苦しみ続ける人もいるかもしれません。ではどうしたらいいのか。私は、お互いを理解し合い、寄り添い合う社会をつくっていきたいと考えています。人は誰もが一人一人個性をもっています。母が、一見嫌がりそうなあだ名が嫌でなかったのは、友達との間に信頼関係があったからではないでしょうか。今は人と人の関わりが薄くなっているように見えます。 同じ学校や同じ地域など、一つのコミュニティーの中で助け合っていこう、支え合っていこうという気持ちをもつことが大切なのではないでしょうか。そのために、二つのことを意識していきたいと思います。
まず一つ目は、顔を合わせる人とは、あいさつをかわすことです。毎日あいさつをしていると、「あれ、今日は元気がないな、どうしたのかな。」と気付くことができるはずです。また、毎日言葉を交わすことで、一人じゃないという気持ちが生まれ、誰かに相談してみようと行動を起こすことができるようになるかもしれません。
本当に小さな小さな行動かもしれませんが、そこから何かが変わっていくきっかけにすることができる。そんな気がします。
二つ目は、どんな個性も大切な一人の人として尊重することだと思います。体の大きさも声の特徴も考え方も、同じ人は一人もいません。ちがうのを変わっていると考えるのは、おかしいと思います。金子みすずさんの詞にあるような「みんな違ってみんないい」の通り、違うからこそ尊いのだと思います。
今後、私がもし「生きづらさ」を感じることがあったら、その時は勇気を出して、身近な人に話してみようと思います。私も友達の様子が「いつもと違うな」と思うことがあったら、「どうしたの」と声をかけていきたいです。一人一人が相手のことを思いやり、助け合って「生きづらさ」に向き合える社会を目指していきたいと思います。