5.23 「奥戸のあゆみ」シリーズ4回目「困難な時代〜学童疎開〜」

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 今日は、今から78年前、日本が戦争をしていたころのこと、「学童疎開」(戦争がひどくなってきたのでそれをさけるために地方へ移り住んだこと)についてお話します。
 奥戸小学校の100周年の記念誌に載っている田島 義雄(たじま よしお)さんの「学童疎開の思い出」(当時6年生)を短くして紹介します。
 
 私たち第一回の疎開児童117名は二学期の始まる前の月10日夜、引率の先生3名と寮母さんと数名と共に奥戸を出発しました。
 行く前までは、遠くへ遠足に行くような気持ちでワクワクしていましたが、いざ両親兄弟友達に見送られると悲しくて胸が詰まる思いがしました。泣き出す子も大勢いました。
夜行列車で数十時間、新井の町には大きな工場があり、商店もあり、田園地帯の奥戸よりにぎやかな街でした。すぐに、広い大きな寺での集団生活が始まりました。夜になると家が恋しく、悲しくなり、布団の中で泣き出す子、怖くてトイレに行けない子・・・、私も、なぜ参加してしまったのかと後悔しながら、いつか帰れる日を思いながら布団に入る日々で寂しさが募るばかりでした。
 戦争が一段と激しくなるにつれて食料が極度に不足し、空腹の毎日が続きました。サツマイモやカボチャなどを隣村までもらいに行ったこともありました。
学校に持っていく弁当箱には半分くらいしかご飯が入っていませんでした。地元の子のご飯いっぱい詰まった弁当を見ながら、少しずつ時間をかけて食べてお湯で腹いっぱいにしました。・・・(略)

 これは100周年の記念誌に載っているお話です。
 今、テレビで「ウクライナ」のニュースを見たり聞いたりした人もいると思います。
 昔、日本で戦争があった時代、奥戸の子供たちも、悲しく、つらい思いをしていたことが伝わったかと思います。
 今の奥戸のみなさんの生活はどうでしょうか。
 みなさんは、自分の家から学校に通い、おいしい給食も食べています。
みなさんと同じ年の頃の奥戸に通う子供たちが、昔、困難な(大変な)時代があったことを覚えていてほしいです。


5.16 「奥戸のあゆみ」シリーズ3回目 「奥戸村の風景」

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 今日から明日まで6年生が日光移動教室に行きます。その間、校長先生は6年生の日光移動教室に一緒に行かれます。
 そこで今日は、副校長先生からお話をします。今日のお話は、「奥戸の昔」です。
 今の奥戸小学校のある場所は、今から120年前の明治時代は、奥戸村といわれていたそうです。
奥戸小の周りは、広々とした見渡す限りの田んぼと畑の中に家が点々と見えた程度だったそうです。
 このあたりに住んでいた人のほとんどが野菜作りを中心とした農家だったそうです。とれた野菜は、牛車やに荷車に積んで、神田や千住の市場まで運んでいたそうです。昼間は、田んぼや畑の野菜の収穫に追われ、夜は夜中に起きて市場へ行くので、大変な仕事だったそうです。子供たちも家の仕事を手伝っていたそうです。
 でも、きれいな水の流れる用水堀があり、水の中には藻が茂り、フナやエビが泳ぐ川だっったそうです。この用水堀は、北沼交通j公園の道路のところだったそうです。大人でも腰がつくぐらいの深さで、夏には水遊びの場所となり、夏の夜には蛍も飛ぶ川で、大人たちは、洗濯物やふろ場の水としても使用していたそうです。
 続きは、来週に校長先生からしていただきます。今週1週間も、けがなどをしないように安全に過ごしてください。そして、勉強も頑張ってください。

5.9 「奥戸のあゆみ」シリーズ2回目 「ケヤキの木」

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 奥戸小学校の校庭に大きな「ケヤキの木」があります。
 ケヤキの木の幹は大人二人が両手を広げて抱えるほど太いです。   
 4月、ケヤキの木は枝がはっきりしている様子でした。ところが、ぐんぐんと芽吹いて今は、緑の葉がたくさんです。先週、休み時間に走った後、ケヤキの木陰で少し休んでいる友達もいました。
 さて、ケヤキの木は何歳だと思いますか。
 学校は120歳ですが、ケヤキの木は120歳以上だと言われています。
 今日は、奥戸小学校のケヤキの木が44年前の新聞記事に載ったことがあったのでその話をします。
 〜 奥戸小学校の創立当時、ケヤキの木は隣の地主さん(ケヤキの木のある土地の持ち主さん)の庭にありました。ケヤキの木は関東大震災や空襲にも負けなかった木でした。
 奥戸小学校は学校を広げるときに、地主さんから土地を譲ってもらいましたが、その時、地主さんから、「土地の守り神であるこの木を切らない」ことを条件に譲ってもらったそうです。その後、「親しく 互いに励むとき けやきはしげる そよ風に」と、新しい校歌が作られ、「隣の地主さんのケヤキ」は、「奥戸小のケヤキ」になりました。(1988年 読売新聞江東版の記事から要約)〜
 大きなケヤキの木は、ずっと奥戸小学校を見てきました。今も、奥戸小学校の皆さんを見守り続けています。ケヤキの木を見たらこの話を思い出してもらえると嬉しいです。

4.25 「奥戸のあゆみ」シリーズ1回目「奥戸の地名と校章の由来」

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 今週末、29日金曜日からお休みが続きます。
 5月2日は、奥戸小の皆さんだけお休みです。奥戸小の皆さんや先生方にとって、特別な日です。私たちの学校、奥戸小学校が明治38年、今から120年前にスタートした日でした。5月2日は奥戸小学校の「開校記念日」です。
 そこで、今日から学校のお誕生日の5月は、シリーズで奥戸小学校のお話をしていきたいと思います。
 今日、奥戸小学校のお話シリーズ1回目は、奥戸の地名と学校の校章の由来についてのお話をします。
 まず、奥戸という地名についてです。
 この空からの写真の様子を見てください。(奥戸小がここです。)2つの川に挟まれています。(中川と新中川です。)
 奥戸は昔、「奥津」という名前でした。
 「津」の字がつくのは港や渡し場などの船の行き来をする場所を意味していて「海や河に関係ある土地」と言われています。上学年の人は知っている人もいるかもしれません。青戸や千葉県の松戸なども同じです。
 その「奥津」という名前が、変化して「奥戸」となったと言われているそうです。
 空からの写真を見ると、奥戸は川に挟まれている様子がよくわかります。
 次に校章のお話をします。これは、奥戸小学校のの校章です。木でできていて昔の校章でとても貴重なものです。前の小笠原校長先生が紹介したことを覚えている人もいるかかも知れません。
 校章の形は何の形でしょうか。
 そうです。桜の形です。なぜ桜の形なのかな・・・と思って、校長先生は調べてみました。そうしたら、110周年の時に作った学校の記念の本に理由が書いてありました。
「中川の土手に桜が多かったので桜の花の形の中に奥戸という学校の名前を入れて校章としました」と。なるほど!と思いました。
 今日は、「奥戸の地名と校章の由来」についてお話ししました。

 さて、今週末から、5月2日の開校記念日を入れて奥戸小の皆さんは7連休となります。
 事故や健康に気を付けて元気に過ごしてください。急に暑くなってきたので衣服の調整や水分補給もしていきましょう。


4.18 「あいてごころ」(奥戸っ子しぐさ)

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 今日は、奥戸っ子しぐさの「あいてごころ」のお話をします。
 これは先生方の傘立ての写真です。傘がひらひらしていないで、全部の傘が止められています。さすが、奥戸の先生たちは「あいてごころ」の見本だと思いました。
 傘がひらひらしていると、次の人が傘を入れにくくなります。また、間違えてそのひらひらの中に傘を入れてしまったらどうなるでしょうか。傘の骨がちょっと曲がってしまうことにつながってしまいます。
 さて、この写真も見てください。奥戸の先生たちと同じように全員の傘がひらひらしないで傘をまとめて止められているクラスを発見しました。
 一人一人が、傘をまとめて「あいてごころ」をしていることにうれしくなりました。
「あいてごころ」は「相手のことを考えて行動します」ですが、「自分もよく、相手もよく」です。
 また、雨が降りの日があると思います。
 そんなときは「あいてごころ」を思い出して、行動する奥戸の子になってもらえるとうれしいです。



4.11 あいさつの「魔法の力」

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 奥戸小学校の目標は「自分がすき 友達がすき 学校大すき 奥戸の子」です。
 今日は、奥戸小の皆さんが「目標ができているよ!」「できたよ!」と言えるために「あいさつ」のお話をします。
 あいさつには「魔法の力」があります。 
 あいさつをすると、1.自分が元気になります。2.周りの人を元気にします。3.やさしい気持ちになれます。4.人と仲よくなれます。 
 さらに、あいさつの「魔法の力」を強くするコツがあります。
 あいさつの「あ」→あかるく、あいさつの「い」→いつも、あいさつの「さ」→さきに、あいさつの「つ」→つづける です。
 奥戸の皆さんがあいさつの「魔法の力」を強くするコツを覚えてあいさつをしてくれたらうれしいです。

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