5.23 「奥戸のあゆみ」シリーズ4回目「困難な時代〜学童疎開〜」奥戸小学校の100周年の記念誌に載っている田島 義雄(たじま よしお)さんの「学童疎開の思い出」(当時6年生)を短くして紹介します。 私たち第一回の疎開児童117名は二学期の始まる前の月10日夜、引率の先生3名と寮母さんと数名と共に奥戸を出発しました。 行く前までは、遠くへ遠足に行くような気持ちでワクワクしていましたが、いざ両親兄弟友達に見送られると悲しくて胸が詰まる思いがしました。泣き出す子も大勢いました。 夜行列車で数十時間、新井の町には大きな工場があり、商店もあり、田園地帯の奥戸よりにぎやかな街でした。すぐに、広い大きな寺での集団生活が始まりました。夜になると家が恋しく、悲しくなり、布団の中で泣き出す子、怖くてトイレに行けない子・・・、私も、なぜ参加してしまったのかと後悔しながら、いつか帰れる日を思いながら布団に入る日々で寂しさが募るばかりでした。 戦争が一段と激しくなるにつれて食料が極度に不足し、空腹の毎日が続きました。サツマイモやカボチャなどを隣村までもらいに行ったこともありました。 学校に持っていく弁当箱には半分くらいしかご飯が入っていませんでした。地元の子のご飯いっぱい詰まった弁当を見ながら、少しずつ時間をかけて食べてお湯で腹いっぱいにしました。・・・(略) これは100周年の記念誌に載っているお話です。 今、テレビで「ウクライナ」のニュースを見たり聞いたりした人もいると思います。 昔、日本で戦争があった時代、奥戸の子供たちも、悲しく、つらい思いをしていたことが伝わったかと思います。 今の奥戸のみなさんの生活はどうでしょうか。 みなさんは、自分の家から学校に通い、おいしい給食も食べています。 みなさんと同じ年の頃の奥戸に通う子供たちが、昔、困難な(大変な)時代があったことを覚えていてほしいです。 |
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