「学校2020レガシー」の育成
東京2020レガシーとは、オリンピック・パラリンピック教育で学んできたこと!
1 ボランティアマインド
2 障がい者理解
3 スポーツ志向
4 日本人としての自覚と誇り
5 豊かな国際感覚
などを表します。そして、これらをさらに伸ばしていくこと、育成していくことです。
2022北京パラリンピック
3月4日から始まった北京パラリンピックは、3月13日の閉会式で幕を閉じました。◎日本選手メダリスト
◇村岡桃佳選手(アルペンスキー女子滑降 座位)金
◇川除大輝選手(クロスカントリー男子20kmクラシカル 立位)金
◇村岡桃佳選手(アルペンスキースーパー女子大回転 座位)金
◇村岡桃佳選手(アルペンスキー女子大回転 座位)
◆村岡桃佳選手(アルペンスキー女子スーパー複合 座位)銀
□森井大輝選手(アルペンスキー男子滑降 座位)銅
□森井大輝選手(アルペンスキー男子スーパー大回転 座位)銅
北京パラリンピック
競技(きょうぎ)の紹介(しょうかい)
◎アルペンスキー(Alpine Skiing)
・時速(じそく)100km超(ちょう)のスピードは迫力(はくりょく)満点(まんてん)!
◎クロスカントリースキー(Cross-country Skiing)
・専用(せんよう)のスキーとストックで滑走(かっそう)する“雪上(せつじょう)のマラソン”
◎スノーボード(Snowboard)
・義足(ぎそく)のスノーボーダーらがスピードを競(きそ)う
◎バイアスロン(Biathlon)
・クロカンの「動(どう)」と射撃(しゃげき)の「静(せい)」を組(く)み合(あ)わせて競(きそ)う
◎アイスホッケー(Ice hockey)
・激(はげ)しいぶつかり合(あ)いに観客(かんきゃく)はヒートアップ!
◎車いすカーリング(Wheelchair curling)
・より精確(せいかく)なショットが求(もと)められる“氷上(ひょうじょう)のチェス”
2022北京オリンピック
2月20日北京冬季オリンピックの幕が閉じました。冬季オリンピックとしては日本史上最多18個のメダルを獲得することができました。 メダリストだけではなく、すべての選手が、コロナ禍の私たちの心に、様々な感動を与えてくれました。◎日本選手メダリスト
□堀島行真選手(男子モーグル)銅
◇小林陵侑選手(ジャンプ・ノーマルヒル)金
□混合団体(フィギアスケート団体)銅
◆高木美帆選手(スピードスケート1500m)銀
□冨田せな選手(スノーボード・ハーフパイプ)銅
◆鍵山優真選手(フィギアスケート)銀
□宇野昌磨選手(フィギアスケート)銅
◇平野歩夢選手(スノーボード・ハーフパイプ)金
□森重航選手(スピードスケート500m)銅
◆小林陵侑選手(ジャンプ・ラージヒル)銀
◆高木美帆選手(スピードスケート500m)銀
□村瀬心椛選手(スノーボード・ビッグエア)銅
◆女子チーム(スピードスケート・パシュート)銀
□渡部暁斗選手(ノルディック複合・ラージヒル)銅
◇高木美帆選手(スピードスケート・1000m)金
□坂本花織選手(フィギアスケート)銅
□男子チーム(ノルディ複合・ラージヒル)銅
◆女子チーム(カーリング)銀
東京オリンピック・パラリンピックでも、小学生は初めて見る競技がたくさんあったことと思います。今回の北京での冬季オリンピック・パラリンピックは、それよりもやったことも、見たこともない競技がたくさん見られると思います。これも一つの楽しみです。
大会前に選手や競技を少しでも調べてみると観戦により熱が入ると思います。
まん延防止措置期間が続く中、感染防止対策としても、家庭でのオリ・パラ観戦をおすすめします。
2022年2月4日から北京オリンピックが、3月4日からパラリンピックが開催されます。東京オリンピック・パラリンピックと同様コロナ禍での開催になりますが、選手の皆さんには力の限り頑張ってほしいと願っています。
東京オリンピック
亀青小学校の「ともだち国」を知っていますか?
イタリア共和国・スロベニア共和国・セントビンセント及びグレナディーン諸島・セーシェル諸島・カタールです。
まずは、どこにあるか地球儀や地図で探してみましょう!
小学校の様子やおいしい食べ物、盛んなスポーツなど調べてみるといいですね!
8月8日にオリンピックは閉会式を終えました。ほとんどの会場では無観客の中、競技が行われました。
日本選手の活躍は素晴らしく、金27、銀14、銅17の計58のメダルを獲得することができました。
新しく取り入れられた競技の若い選手の活躍が目立ちました。
また、パラリンピックは9月5日に幕を閉じました。
最終日は、女子マラソンの金メダルも含むメダルラッシュでした。金13、銀15、銅23、計51のメダルを獲得しました。
パラリンピックでは、メダルの数より一人一人の選手がパラリンピックを目指して努力を続けてきたことに心を打たれることが多くありました。
観戦した一人一人に、自分の「感動の場面」があれば、大きな成果があったパラリンピックになったと思います。