7月10日5年生算数 合同な図形:三角形を作図しました。 今日の給食 ひじきの炒め煮、ごはん、サバの塩焼き、じゃがいものそぼろ煮でした。 7月8日保健室から熱中症予防のため温度、湿度を表示し注意喚起しています。 7月7日お昼の掃除 4年生が図工室で糸鋸の周りを掃除しています。みんなが気もちよく使えるようにきれいにします。 今日の給食は七夕給食です。メニューは、ちらし寿司、イカの香味焼、そうめん汁、サイダーゼリーでした 7月6日6年生算数科研究授業 めあて:「分数、少数、整数が混じった掛け算や割り算のしかたを考えよう」主体的に取り組み自力解決できるよう授業を進めていきます。 7月5日花壇は主事さんや、事務さんがきれいにしてくれています。 今日の給食は、アジフライ、味噌汁、ごはんです。 7月4日4年生社会科の学習鵜 清掃局の方が来てくれました。ごみの回収など日常のことを学できました。 7月3日今日の給食は、行事給食:半夏生給食です。タコ飯、味噌汁、青菜のゴマ仕立て、ちくわの磯部あげです。稲の根がタコの足のように四方八方に根付きますように、またタコの足のように豊かに実りますようにと願いが込められています。 6月30日1年生音楽 オルガンの音に合わせて子供たちが楽しそうに手をたたいたり歌をうたっています。 6月29日6月28日本日はリクエスト給食でした。ビビンバ風まぜご飯、ピーチゼリー、キムポテ、中華風卵スープ、リクエストはピーチゼリーでした。 6月27日6年生 だんだんコリント 今学期も残り少なくなってきました。1年生と遊ぶためにつくってきましが、組み立ても始まり完成が見えてきました。仕上がりが楽しみです。 6月26日プールの授業が始まりました。プールサイドでは声が聞き取りずらいので静かにお話を聞きます。 6月22日暗算を活用して計算の工夫を考えました。いろいろな計算方法を発表することができました。 6月21日今日の給食 ガーリックライス、ひよこまめのスープ、魚のハニーマリネ、おかしな目玉焼き。 魚は味付けが優しく、とても食べやすく調理してありました。 6月20日本日の給食は、焼きカレーパン、綱とひよこ豆のサラダ、卵スープ、オレンジ。焼きカレーパンはリクエスト給食でした。パンに具を挟んでパン粉をのせて焼きました。 6月19日今日の給食は 麦ごはん、ほっけの塩焼き、白滝のピリ辛炒め、味噌汁です。 6月16日今日の給食はリクエスト給食です。プルコギ丼、フルーツポンチ、春巻きでした。リクエストはフルーツポンチと春巻きでした。おいしくいただきました。 6月15日4年生図工の学習 みんなのマンションが進んできました。家具も増えてきて、ここから思い思いの部屋ができあがっていきます。未来祭が楽しみです。 令和5年度 道徳授業地区公開講座保護者の皆様も、分散して参観していただかなくてもよくなり、1.2校時のどちらかで各学級の道徳の授業をご覧になっていただくことができました。 公開講座では、念願の道徳が『特別な教科「道徳」』となった経緯についてのお話と道徳推進教師司会の基、道徳の授業の在り方と意見交換会を行うことができました。ご参加いただけた皆様、ありがとうございました。 戦前の教育においては、「修身科」が道徳教育を行う重要な教科として位置付けられ、教科書もありました。しかし、終戦後に「修身科」が廃止され、日本が主権を回復した後の昭和33年に「道徳の時間」を特設し、小・中学校で週一時間実施されるようになりました。当時、文部省は戦前の「修身科」ではないことを強調するため、「教科書は作らない」、「評定を行わない」、「免許状を出さない」という方針を示しました。 その後、様々な青少年の問題行動を背景に、平成12年の「教育改革国民会議」では、小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高等学校に「人生科」などの教科を設けることが提言されました。次いで、平成19年の「教育再生会議」では、「徳育を従来の教科とは異なる新たな教科と位置付ける」ことが提言されるなど、道徳の教科化については、これまで幾度か論議されてきました。しかし、「人としてあるべき心を教え、評価することは可能なのか」等の論議が起こり、結論の出ないまま教科化にはつながりませんでした。 しかしながら、平成20年代、再びいじめや規範意識の問題等が大きな社会問題として取り上げられる中、「教育再生実行会議」において、一般に言われる「教科」の定義ではなく、新たな枠組みにより教科化することが提言され、中央教育審議会答申を踏まえ、道徳の教科化へとつながりました。 文部科学省は、平成27年3月27日付の通知において、中央教育審議会答申(平成26年10月)の「特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるもの」の一文を引用し、道徳の教科化に向けての考え方を明確に示しました。 「特別な教科 道徳」が創設された最も大きな背景には、いじめの問題があります。この問題をきっかけとし、道徳教育の大切さが強調され、平成25年2月にいじめの問題などへの対応策をまとめた「教育再生実行会議」の提言の中で道徳の教科化が打ち出されたわけです。 また、学校においては、道徳教育の実施について、それまでいくつかの課題が指摘されていました。特に、道徳の時間の指導については、「学校や教員によって指導の格差が大きく、不十分な状況にある」。また、指導にあたる教師自らが課題として、指導の効果の把握・効果的な指導方法・適切な教材の入手・十分な指導時間の確保・地域・保護者の協力などを挙げていました。 これらの課題を解決するためにも、文部科学省は、学習指導要領を改定し、従来の「道徳の時間」の質的な転換を求めました。具体的には、「教材を読む道徳」から「考える道徳」、「議論する道徳」への転換を図ることです。また、「適切な教材の入手が難しい」という課題については、教科化によって、すべての小学校、中学校において文部科学省の検定を経た教科書を使うことで解決できるようにしました。 これが「教科」ではなく、「特別な教科」になったわけです。 背中を見て学ぶこと子供の頃、自家用車がなかった我が家では、父がよく電車に乗せて私をいろいろなところへ連れて行ってくれました。長期の休みには家族で旅行にも行きましたが、日曜日には、よく近場で子供が興味をもちそうな場所に連れて行ってくれました。どこに連れて行ってもらったかはよく覚えていなかったので、後で聞かれると答えられず、父をよくがっかりさせていました。どちらかというと私は、観光地よりも電車の窓から外の景色を見ていることが好きでした。 何度も何度も電車の旅をしていましたが、いつの日か、ふと気付いたことがありました。それは、父は滅多には椅子に座らないということです。私も幼児の頃は靴を脱いで、椅子にあがり、車窓から景色を見ていた記憶はありますが、小学生になった頃からは、ほとんど座った覚えはありません。 いつか遠くに出かけたときの特急電車の指定席。非常に混雑して、指定席車両の中にも立っている人がいっぱいになりました。その中に、小さな子供がいました。父はその子供に気付くとさっと立ち上がり、席を譲ろうとしました。母が「指定席なんだからいいのよ。」というと、「いいんだよ。」と言って立ち上がり、その親子を座らせてあげたのです。その姿を目の当たりにした私は、何だが恥ずかしいと同時に、誇らしげな気分になったことを今でも覚えています。何で座らないの?と聞いても父はいつも、「いいんだよ。」と言うだけでした。本当の理由は未だに分かりません。 母の足が弱って、老夫婦を車で送り迎えすることが多くなってからも、日常父は一人でよく歩き、遠くまでも自転車で出かけていました。すでに亡くなってはいますが、85歳を過ぎても、人の心配をよそに徒歩や自転車でよく遠くまで出かけていました。 「若い者は立っていろ。立っていた方が体を鍛えることができるんだ。」と私に身をもって教えてくれていたのだと今では思っていますし、思い続けます。 最近、つい席が空いていると座ろうとしてしまう自分がいますが、我慢、我慢。子供と電車で出かけたときにも、できる限り座らないことを心がけてきました。父の教えを我が子には伝えてきましたし、学級の子供たちにも伝えてきました。 まだコロナ禍を迎える前には、学校の校外学習で子供たちとともに電車で出かけることがありました。そのときどきでも、席を譲ることができる子供たちやリュックサックを前に抱えて電車に乗るように友達に勧めることができる子供たちがいました。これらは、きっと家庭で出かけたときに親が示した行動なのではないかとも思います。 言葉で教えられなくても、見て学ぶことができる子供、人をこれからも育てていきたいと思います。 |
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