背中を見て学ぶこと子供の頃、自家用車がなかった我が家では、父がよく電車に乗せて私をいろいろなところへ連れて行ってくれました。長期の休みには家族で旅行にも行きましたが、日曜日には、よく近場で子供が興味をもちそうな場所に連れて行ってくれました。どこに連れて行ってもらったかはよく覚えていなかったので、後で聞かれると答えられず、父をよくがっかりさせていました。どちらかというと私は、観光地よりも電車の窓から外の景色を見ていることが好きでした。 何度も何度も電車の旅をしていましたが、いつの日か、ふと気付いたことがありました。それは、父は滅多には椅子に座らないということです。私も幼児の頃は靴を脱いで、椅子にあがり、車窓から景色を見ていた記憶はありますが、小学生になった頃からは、ほとんど座った覚えはありません。 いつか遠くに出かけたときの特急電車の指定席。非常に混雑して、指定席車両の中にも立っている人がいっぱいになりました。その中に、小さな子供がいました。父はその子供に気付くとさっと立ち上がり、席を譲ろうとしました。母が「指定席なんだからいいのよ。」というと、「いいんだよ。」と言って立ち上がり、その親子を座らせてあげたのです。その姿を目の当たりにした私は、何だが恥ずかしいと同時に、誇らしげな気分になったことを今でも覚えています。何で座らないの?と聞いても父はいつも、「いいんだよ。」と言うだけでした。本当の理由は未だに分かりません。 母の足が弱って、老夫婦を車で送り迎えすることが多くなってからも、日常父は一人でよく歩き、遠くまでも自転車で出かけていました。すでに亡くなってはいますが、85歳を過ぎても、人の心配をよそに徒歩や自転車でよく遠くまで出かけていました。 「若い者は立っていろ。立っていた方が体を鍛えることができるんだ。」と私に身をもって教えてくれていたのだと今では思っていますし、思い続けます。 最近、つい席が空いていると座ろうとしてしまう自分がいますが、我慢、我慢。子供と電車で出かけたときにも、できる限り座らないことを心がけてきました。父の教えを我が子には伝えてきましたし、学級の子供たちにも伝えてきました。 まだコロナ禍を迎える前には、学校の校外学習で子供たちとともに電車で出かけることがありました。そのときどきでも、席を譲ることができる子供たちやリュックサックを前に抱えて電車に乗るように友達に勧めることができる子供たちがいました。これらは、きっと家庭で出かけたときに親が示した行動なのではないかとも思います。 言葉で教えられなくても、見て学ぶことができる子供、人をこれからも育てていきたいと思います。 |
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